映画 沈黙 サイレンス 補完

◆映画ラスト。

あれを持たせたのは奥方だよね。

少なくとも、奥方に恨まれるような生活ではなかったということか。

わたしの師は身近なパートナーとの関係が大事という。

聖書では、隣人を愛せよと説く。

身近な人を愛する。

簡単なようで、なかなか難しい、当たり前のこと。

少なくとも、神父は、それを達成できたのだろう。それはとても尊いことではないか。

仏教だったら?

そして、仏教にこの物語を置き換えてみる。

まず布教→しない。

踏み絵→絵は偶像なので問題なし。即する。

戒律→どれも他人には遂行してるかどうかがわからないのでまず咎められないような

座禅→寝てるだけにも見える気が…

瞑想→座禅がだめでもいろんな瞑想法があるなでなんとかなりそう

サンガ→これはアウトだろう。けど瞑想は1人でもできるので…

お経→唱えられなくてもまあなんとか

他の宗教→仏教の戒律、ダルマと反するものが思いつかない…よって表向きは〇〇というか瞑想、正見、戒律とのハイブリッドでも問題ない気がしてきた

経典→経典だけが頼りではない、瞑想の実践が大事なのでなんとかなる

結論、なんとかなる!

緩っ!

ていうかこんな地味でとっつきにくい教えがなんでこんなに広まって続いているのかわからない!

現代まで伝わっていることに、本当に感謝しています。